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そうじの話 (3/27/10)
ある朝、犬と散歩していたら、近くで、小さな男の子と、その子のおとうさんと犬が、同じように散歩しているのが目についた。 その男の子は、手袋をしていて、ゴミが目につくたびに、それをひろって、おとうさんが持っているビニール袋にいれていた。時々、道からはなれてやぶがあるようなところに行き、ゴミをみつけたりしていた。その子のおとうさんは、“もうそれぐらいでいいよ。さあ行こう。”と言って、やがて歩いてみえなくなった。 私はそれを見て、とても心があたたかくなり、こんなすばらしい親子がいるんだなあと感心した。 話はとぶが、今知り合いの人のところに、しばらくステイさせてもらっているが、この付近は、メキシコ人が多く、道端にゴミとか落ちているので、驚いた。朝、犬と散歩しているとき、落ちているゴミを見て、ふとあの男の子のことを思い出し、ちょっとでも、人のためになることをしようと思い立ち、ゴミを掃除することにした。今まで、私を助けてくれた人たちがたくさんいたので、その人たちに恩返しするかわりに、奉仕しようという気持ちもあり、またある友達から、私は、瞑想とかはしても、実際の世界に入って行動しないといわれたこともあって、実際何か行動するよいチャンスのよぅに思われた。 一回目は、袋を手にもって、歩きながら、ゴミをひろっていった。さほどたいへんでもなく、運動のつもりで、のんびりと歩いた。しばらくしたら、外で遊んでいた子供たちが、やってきて、”何しているの?“と聞くので、”ゴミをひろっているのよ。“と答えた。一人の男の子が、おちているゴミをみつけて、それをひろい袋にいれてくれた。私はその子をほめてあげたら、そばにいた女の子も、ひろってくれた。そうしながら、私は、その子供たちと仲良くなり、しばらく話して楽しんだ。その子供たちは、私の心を、明るくしてくれた。 2回目は、ちょっとはいったところの小さな通りに、たくさんのゴミや葉っぱがおちていたので、それに挑戦することにした。ほうきとちりとりをもってきて、掃いてゴミをため、それを袋にいれた。最初は袋(ばかでっかい袋ではなく、中ぐらいのサイズのゴミ袋)10こぐらいかなと予想していたら、思ったよりたくさんで、しかも、葉っぱや木の枝や、ゴミがまざっていたので、容易ではなかった。正直いって、やりはじめてしばらくしたら、体がしんどくなってきた。人がちらしたゴミを掃除している自分のことを考えたりした。結局は、この掃除は、自分の内面の掃除のためにしているんだと考えた。 しばらくしたら、あるメキシコ人のおじさんがやってきて、“君は、市に雇われて、仕事しているの?”と聞いてきた。私は、“いいえ。ちがいます。自分でやっているだけです。”と答えた。“じゃあ誰がお金をはらってくれるのかい?”とまた聞くので、“私は、たくさんの人から今まで助けられたので、その恩返しのつもりで、ただしてるだけです。道にゴミがおちているのを見るのが、あまりいい気もちがしません。それで掃除しています。”と言ったら、彼は、“ちらかっているのを見るのは、俺も好きじゃあないが、ゴミが多すぎるよ。”と答えた。私は、“でもゴミをひとつひろうだけでも、違いができます。”といったら、おじさんは、なるほどとうなずきながら、しばらくだまっていた。そのあと、“子供を学校につれていくから、じゃあこれで。”と言って、車のほうに行った。私も“じゃあまた。”といってそこで別れた。 そのあとまた、ゴミひろいをつづけたが、袋の数が増えるたび、体も疲れてきて、正直いって、途中でやめたくなった。でもせっかくはじめたから、その通りの最後までやらねばと思った。最後のゴミを袋にいれて、袋を数えたら、なんと12こだった。12という数字で、魂が存在する12次元の世界のことを思った。その時、ふと天(神様)に、“こんなにたいへんな思いをして、ゴミをひろって掃除しなくてはならないのでしょうか? ほかにもっと楽な方法はありますか?”と聞いたら、“平和でゴミがおちていないきれいな町を、想像(イメージ))しなさい。”と答えがきたので、思わず笑ってしまった。そのとおりだと思った。 そのあと、ゴミの袋をすてるために、ダンプスターまでもっていかなくてはならなかったが、ちょっと歩かねばならず、ひとつだけ持っていって捨てただけで、もう自分ひとりでする気がなくなった。友達にたのんで、いっしょにすることにした。Okをもらったのはいいのだが、彼も忙しくて、時間がなく、結局しばらくそのままになっていた。気になって、犬の散歩をしながら見てみたら、袋は全部そのまま道端に残っていた。その時に、“イメージしなさい”というあの天のメッセージを思い出し、目を閉じて、すべてのゴミ袋が、きれいになくなっているのを、想像した。そのあと、やはり自分で責任をもってやらねばと決心して、車につんで全部の袋を運ぶことに決めた。しばらくして、車でその通りまでいったら、なんと、全部の袋がきれいになくなっているので、本当にびっくりした。イメージしてから、さほど時間もたっていないのにと考え、そのパワーに驚いた。自分ひとりでしなくてよかったので、感謝した。誰か、親切な人が、処理してくださったに違いない。 この掃除のことで、学ぶことがいろいろとあった。やはり一番大切なのは、人々の意識を目覚めさせること。ゴミとかを平気ですてるような人間にならないように、教育することの大切さを思った。すんでいる町を、みな大切にすることや、ゴミがおちているのに気がついたら、ひろうことも大切だが、正直いって、あのおじさんが言ったように、あまりにもたくさん落ちていたら、ひとつずつひろうものたいへんだ。私もあの掃除してから、あまりやる気がなくなったのは事実だ。一番いいのは、近所ぐるみで、大掃除することだろう。また、ボルダーでは、こういうごみの光景は、見たことがないので、町にもよるし、地区にもよるような気がする。また、市がこういう掃除は、定期的にやるべきだと、正直いって、つくづく思った。そういう呼びかけも大切だろう。 これからは、できる限り、平和で豊かで、美しい世界を、イメージ(想像)して、それを意図し、愛と光をおくるようにしたい。また、自分でできるかぎり、行動することも、おぼえておこうと思う。 まあたわいもない掃除の話でしたが、真実としては、この物質界は、自分のマインドが作り出す幻想の世界ですから、このゴミの光景ですら、自分の想像にすぎないことを、私の魂はわかっているのですが、意味があって、今こういう経験をしていることを、完璧として受け取り、学ぶべきことを、学んでいこうと思っています。 この私の話をよんで、みなさんも何か学ぶことがあれば、幸いです。 愛をこめて ちわ |